約5年で4回転職したアラサー女が新卒で入った広告営業を振り返り懺悔する #2社目
次の仕事も決めないまま1社目を辞めた無職の私は、母と過ごした1週間のうちにニートである罪悪感に耐えられず、就職活動をはじめました。事故などで死んだら「 職業・無職 」って書かれることに怯えていました。
今回は、新卒で入った会社を4ヶ月で辞めた後1年間の話です。
雇用形態にこだわりが強くなければ地方でも働き口はたくさんあったので、都会ならもっと選び放題だと思いましたo(^-^)o
新卒4ヶ月で辞めた話はこちら 310-223blog.hateblo.jp
1. 社会人4ヶ月目で会社を辞めてどうしたか
1社目を辞めるとき 漠然と「 次は人に必要とされる仕事をしたい 」と考えていた私は、「 病院で働く 」という結論を出していました。( 医療関係者に怒られろ )
結果的に病院では働かないので、この時の安易な私は見逃してあげて頂ければ。
「 新卒で入った会社を3年経たずに辞めたんだから簡単には再就職できない 」と思った私は、
\ 学費を稼ぎながら医療事務の資格を取って1年後には病院に就職する /
と決めて、家から原付で15分の距離にあったヒューマンアカデミーへ医療事務の授業について聞きに行き、他の勉強方法や相場観も調べず、その場で週1回・約10ヶ月間の 医療事務講座(医科)+受験対策コース に申込みました。
同時にヒューマンアカデミーの派遣を勧められ( 通称:ヒューマンリソシア )、無職だったのでその場で派遣も契約しました。今思えば世間知らずのいいカモです。
ただ、4ヶ月でニートになったような職歴ですぐに正社員なんて絶対無理だと思ったし、1年で資格とって次の職を探すなら派遣がちょうど良いでしょ~くらいの浅い考えでした。その辺のバイトより時給良かったし…( 未だに派遣や契約社員の違いはよく分かっていません )
何より、自分の職歴でも出来る仕事がすんなり見つかることに驚きが大きかったです。最初の会社を辞めるとき、かなり脅されていたので。
2.1年の期限付きではじめた派遣事務
派遣登録をして数日後、田中圭さんを30回くらいぶん殴って私と同じくらいの身長にした、 中学校の先生みたいなユーキャンの担当者にプレハブ小屋の会議室へ連れられました。
そこで、いかにもドンキにスウェットとキティちゃんスリッパで現れそうな 金髪細身で目の周りは真っ黒、30代半ばのヘビースモーカーな女性( 以下、ギャル上司 )に紹介されました。
コミュニケーションだけはとれたからか、その日のうちに採用。
ここでも前職の経歴を聞いても嫌な顔はされず、理解を示してくれました。ギャル上司の見た目は やんちゃな私の父ですら苦笑いしたくらいものすごく怖いですが、中身は意外と面倒見が良い優しい方でした。( ヤンキーあるある )
私は強欲なので土日休みの事務仕事が良かったものの、田舎にはそんな仕事は転がってないし、時給換算すると正社員のときより高いし、自宅からの立地は良かったので、結局週休2日・シフト制の 情報インフラ系会社の派遣事務になりました。
入社後は、コミュニケーションだけはとれたからか割と可愛がってもらえました。支店内だとダントツで若かったのが一番効いてたのかと。
若いうちは怖いもの知らずとは言いませんが、割と味方が多いと思う。( 私が女性だからなのかもしれないです。少なくともこの職場で私が男性だったらこんなことはなかったと思われる )
先輩派遣と所長の不倫や 派遣同士のイジメなど、女性によくあると言われがちな人間関係トラブルが多かったものの、私自身は都合の良いポジションに胡座をかいてました。ギャル上司は身内( 自分の部下 )に殊更優しかったので。( ヤンキーあるある2 )
実家暮らしでほぼ定時( 17時30分 )で帰れる派遣時代は、今思えば社会人生活の中で一番楽な時代でした。毎日ジャニーズ見ながら夜中まで刀剣乱舞してた気がする。( 最推しは同田貫 )
一方で父親は「 この先この子はどうなるんだ 」と将来が真っ暗だったようで、今では底辺時代と呼ばれています。当時彼氏もいなかったし、社会から断絶されてたし仕方ない。
ただ、
・日中はずっと空調の効いた社内でゆったり楽で簡単な事務仕事をして、
・飛び込み営業してこいに放り出されることはなく、
・きちんと1時間休憩を頂けて、
・時々ギャル上司のタバコ休憩ついて行ってカフェオレを奢ってもらい、
・お客様から怒鳴られることもストーカーされることもなく、
・時間になったら家に帰れる
当初の私は、これでもう少し時給が良ければ言うことなしだと思ってました^^笑
3.ヒューマンアカデミーの感想
元々勉強は好きなので、授業はめちゃくちゃ楽しかったです。
運良く周りの方の雰囲気もよくて、少人数だったからすぐ質問もできたし、不便も無くストレスフリーで勉強できました。授業以外に変な勧誘もないし…。
受講当初から、医療事務未経験かつ職歴に難のある私が決して広くはない医療事務の門をくぐるためには、最難関と言われる 合格率30%程度の 診療報酬請求事務能力認定試験 に受かることが、ひとつの大きな目標でした。同じクラスの子みんながそれを目指していたように思います。
試験は1年に2度受けられますが、1年で資格を取ると決めた以上は1発合格が必須。それを逃すとあと半年先延ばし…という緊張感は軽くもっていました。
この時は、このあと2回転職する予定はなかったし、次に入った会社( 病院 )で一生働くつもりだったので、入社は早ければ早いほど良いとも考えていました。
この考えに至っては今考え直すと自分の中でも賛否両論ですが、とりあえず焦っていたんだと思います。
結果は、目標にしていた診療報酬請求事務能力認定試験で1発合格できました。( 診療報酬以外に普通の医療事務資格2つと電子カルテなど、いろんな試験を受けました。 )
会場には老若男女いて、明らかお医者さんみたいなおじさんが受けていたのが印象的でした。地方の会場でしたが、受験者数は結構多かったです。
私は大昔にユーキャンのボールペン字通信講座を受講した時は続かず秒で辞めましたが、リアルで授業に通うタイプだと割と続けられたので私には合ってたのかもしれません。
ただ、想像に難くないですが、通信教育の方がお値段は断然安いようです。
この時の受講料、今まで生きてきた中では恐らく 友達に誘われて買った ネズミ講まがいの美顔器の次に高いお買い物でした。気付くの遅くてクーリングオフ期間を越えた美顔器代は、今も払い続けています( 地獄 )
それでも、授業なら直接サポートを受けられたし、何より自分で高額出して通ってるので続けられたんだと思っているので後悔はしていません。( 美顔器は後悔しかない )
問題集を買って解く自主学習なら きっと最初の数ページを永遠繰り返すだけで、最後までたどり着かなかっただろうと思います。
電子カルテの資格はパソコンで実際の画面を触ってみないと勉強にならないから、家ではなかなかできずにとらなかっただろうし…。
あとこれはタイミングにもよると思いますが、授業終盤には講師の先生のツテで医療事務の求人募集してる病院を紹介して頂けたりしました。
病院側も超短期インターン的なこともしてくれましたし、事前に今勉強中ということも知っておいて頂けるのでミスマッチもなく、次に繋げやすそうです。
私はこの過程で個人病院を営む医者の方と性格が合わず心折れたんですが、悪口になるといやなので割愛します。
4.2度目の正社員登用へ…
無事資格試験に合格して医療事務の資格を獲得しましたが、就活は合格発表前からはじめていました。医療事務の求人に応募する際、「 資格取得予定です 」と言えば門前払いになることはあまり無かった気がします。
そこで、就活するためにいくつか転職サイトに登録しながら、「 自分の職歴で再就職は難しいって思ってるけど、この1年で成果( 資格 )も得たし、試しに普通の企業にも応募してみよう 」と思い、求人情報を見て惹かれた企業・業種に応募しました。
地方から関西に応募したので、数はそこまで多くなかったと思います。交通費痛かったし…。
結果としては とある会社に広報として拾ってもらいました。
ただ、私が「 広報 」に応募した事実はほとんどなく、内定後の入社前面談で「 新しく部署作るから、広報やらない? 」って言われて広報になったようなものなので、人生何があるかわからないなって思います。
派遣の仕事や医療事務の資格は全く関係なく、皮肉にも1社目の広告業界で営業をしていたことが一因だったようです。
広報に経験も興味もなかったけど、その時点でほかの内定蹴ってたし、ここで断ったらニート逆戻りだったので広報になりました。
知識も経験もないまま関西に引っ越してひとり広報に勤しんだ結果、今の旦那と出会えて東京に来て結婚して同じような職種に再就職して現在に至ります。
広報、華やかって言われてたけど実際の活動は地道で泥沼みたいでした。
会社や社長が大好きだったので、会社のこと広めるのが楽しかったのはジャニヲタの血だったのかな。。取り扱うモノを好きになれれば、ヲタクって営業や広報向いてると思う。
こんな風に、深く考えず就職した最初の会社のおかげで社会復帰を果たしました。
今仕事辞めようって思ってる方も、今取り扱っているサービスがクソだって思ってる人も、いつかどこかでその経験が役に立つかもしれないです。
来月から新社会人になる方も含め、世の中の働く人々に幸せあれと願ってやみません。
生まれてから22,23年( 早い人は10年ちょっと )で世の中に出て、そこから約40年働くって本当にすごい。尊い。少しでも働くことが苦痛じゃなくなるといいな。
今日の話はここまで。